capemisakinosakitaro’s blog

仕事を辞めました!

ゴシップで「証拠出せ」系の反論は、悪手と思う

イジメ、セクハラ、パワハラ、性加害、その他犯罪などの疑いのある有名人、団体、企業など。あるいは、もっと身近な人物でもいい。

疑惑の当事者がよくする反論に、「証拠出せ」がある。

 

「証拠はあるんですか?」

「証拠をお示しいただきたい」

「そんなに言うなら証拠を出せ」

 

言い方はマイルドなものから傲慢なものまでいろいろあるが、疑惑の当事者が「証拠を出せ」系の反論をするのを見ると、「自分がやりました」と言ってるようにしか見えないのは、私だけではないはずだ。

 

もし自分があらぬ疑いをかけられたときどうなるか、想像してみてほしい。

 

「自分はやってない」と、とにかく事実を否定するだろう。

感情的になって反論するだろう。

自分がやってないことは自分自身が一番よくわかっているので、まずはとにかく無実を訴えるものだ。自分がやってないのは明白すぎて、「証拠」という発想が浮かばないのである。だから、「証拠を出せ」と反論する思考にはならない。

もちろん、議論が堂々巡りになって「証拠は?」という話になることはある。

だが、議論の早い段階から証拠の話になることは、少なくとも私の経験上ではない。

だから、「証拠出せ」系の反論をすぐしてくる人に対しては、すごく違和感がある。冷静なほど、違和感がある。やってないにしては、その言動が不自然なのである。

 

思うに、犯人は「証拠出せ」系の反論をするとき、相手の反応を見ている。コイツは証拠を持ってるのか?と見定めている。犯人は証拠がないことを確認したいのである。自分の精神の安定のために。

そういう心理が、「証拠を出せ」系の反論につながるのかもしれない。「証拠を出せ」系の傲慢な反論をしなければならないほどに追い詰められる前に、素直に認めた方がダメージも少ないと思うのだが。